日语中的 科是什么意思

2025-03-10 00:45来源:本站

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科(か)是日语中的一个汉字,读音为“ka”。它有好几个含义,具体如下。

第一个含义是“科学”。科学是指通过实验和观察来发现事物本质和规律的一种知识体系。日本人非常重视科学技术的发展,因此科学在日本社会中占有非常重要的地位。例如,在日本的大学里,科学类专业的学生人数往往比其他专业要多很多。

第二个含义是“部门”或“科室”。在日本工作或生活的人们常常使用科这个词来表达他们所在的部门或科室。例如,医院里有心理科、消化科等等,大学里有物理科、化学科等等,公司里也有研发科、销售科等等。

第三个含义是“类别”或“科目”。在日本的学校里,科这个词也经常被使用。例如,小学和初中里有国语科、数学科、音乐科等科目,高中和大学则有更多的科目可以选择学习。

总的来说,科这个词在日语中拥有非常广泛的用法,从科学到部门再到学科,它都扮演着非常重要的角色。

科学,此处应翻译为:分析科学,或者局部科学。在此文中,科学,与哲学是一个相对的概念。这篇文字,是在解释什么是“哲学的知”。而“科学的知”是作为相对(近似相反)的概念被提出来的。另外,“科学的知”是不能直接翻译为“科学”的(“的知”是てきち)。“应该翻译为“分析性科学智慧”或者“局部科学智慧”。因为此文的“哲学的知“被作者解释为综合性科学。哲学,在此处失掉了客观性,被作者解释为可以影响人生的一种主观选择了。这与现代中国人对哲学的解释有很大差异。——请参考。

段落大意:

一つには、科学的知は、対象を突き放して、第三者的立场で、自分に関わのない客観的事象として眺め、しかも、必ずそのつど、特定の観点からだけ対象を扱い、自分が関心を持つ侧面だけを取り上げ、それ以外の局面を舍象しゃしょうし、(注)决して対象の全体を见ようとはしないのである。だから、科学が进むと、细分化が必至となり、隣の研究室でやっていることが、お互いにはまったく分からなくなる。専门化と特殊化が、科学の运命であり、いかに学际化が叫ばれても、根本的には①この倾向には歯止めが利かない。それはちょうど、近代的病院で、病気を扱う诸部门が、外科や内科等々として、细かく分かれ、人间全体を扱ってくれる部署が存在しないのと、同様である。

这一段,说的是分析科学,是细分化的科学。是不关心全体是关心局部的学问。

二つには、科学的知は、対象を、自分と无関系な事柄として扱う客観性がその特色をなしているので、そこでは、私たちが、自己として、主体的に决断して実践的に生きてゆく行为の问题を、本质的に扱うことができないのである。というのも、ある状况のなかで、いかに生きるべきかをよく考えて、决断し、行为してゆくためには、来こし方行く末をよく熟虑して、もはや无い过去と、いまだ无い将来とを视野に収めながら、现在の状况のなかに突き入ってゆかねばならない。しかし、そのような无いものを视野に収めながら、记忆と期待の热い思いを抱きつつ行为することは、知覚的に有る现在の事実に検证されることによってのみ确実性を得ようとする科学の実证性とは、まったく别个の事柄だからである。客観的な事実确认のみを大事と考える科学の次元と、人生の岐路に立って、右すべきか左すべきかに思い悩む行为者の立场とは、别个の事柄である。②科学は、いかに生きるべきかという後者の问题を、本质的に扱うことができないのである。

这一段,说的是分析科学,只关心现在,只是要努力实证现在。而另外的学问(哲学),不仅关心过去,也关心未来,并且与我们的人生选择相关。

したがって、科学とは别に、存在の全体を视野に収め、世界のあり方の原理的全体を考虑して、世界観の知を育 はぐくむと同时に、そのなかで、人间はいかに生きるべきであるのかという、人间の主体的な行为の根本を考究して、人生観の知を形成するところに、哲学的な知の本质的な成立根拠があることになる。哲学が爱し求める真実の知とは、こうした人生観?世界観の根本的にほかならない。

这一段,是综合。说的是哲学是培养人生观和世界观的。

这篇文字,总体,其实不见得多正确,但是也算是一家之言。

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